2009-07-01から1ヶ月間の記事一覧

[感動日本史] 軽皇子と鎌足

(承前)鎌足が神祇伯を固辞したという『日本書紀』の記事は、そのあと、段落を変えずに、こうつづく。 「(鎌足が勤めを休んでいた)ちょうどその時、軽皇子(かるのみこ=のち孝徳天皇、このころ48歳)も脚の病で朝廷を退いていた。鎌足は以前から皇子と親…

 鎌足と仏教

鎌足肖像 入鹿暗殺事件は、登場人物といい舞台といい、これほど豪華でドラマティックな物語はない。『日本書紀』も歴史書としての冷静な筆致を忘れて、詳細に描写している。ただ、繰り返し読むほどに「なぜ」と引っかかる個所がいくつか出てくる。 最初の「…

 蘇我氏四代

中大兄皇子は、なぜ蘇我入鹿を殺したのか。 大きな流れから見ると、それまでは天皇権力と豪族勢力のせめぎあいの時代であった。もっとも豪族勢力といっても蘇我氏が豪族たちの中で抜きん出た存在になると、蘇我氏と天皇権力とは直接対峙の様相を呈することと…