神願寺はどこか

京都の高雄といえば紅葉の名所だが、また神護寺でも有名である。 神護寺は和気氏の氏寺(うじでら)で、もと高雄山寺(たかおさんじ)と言った。この高雄山寺と神願寺(じんがんじ)という寺を合併したのが神護寺なのである。古い順に繰り返すと、神願寺が出…

くじ将軍

室町幕府の第四代将軍足利義持は、病気で重態になり、重臣たちに後継者の決定を求められたが「しかるべきように」としか言わない。重臣のひとり醍醐三宝院満済は、候補者である四人の「御名字を八幡神前において御くじをめされ」てはどうかと申し上げたとこ…

吉井勇と一枚の写真

八幡市の松花堂庭園のなかに資料館がある。資料館の展示室に入ると、すぐ左側の端に、吉井勇関係の資料が展示してある。 その中に古ぼけた一枚の写真がある。和服を着た十数人の集合写真で、説明文にこう書いてある。 「松花堂庭園にて。吉井勇、孝子夫人、…

八幡切

書道の世界では、平安から鎌倉初期にかけて書かれた仮名の名品を「古筆」(こひつ)という。「秋萩帖(あきはぎちょう)」「高野切(こうやぎれ)」「寸松庵色紙(すんしょうあんしきし)」などは、古筆の最高峰として有名である。 そうした古筆のひとつに「…

八幡の「園と栗」

律令制のもとで、天皇家・貴族・社寺などは、各地に「園」あるいは「御園(みその)」と呼ばれる土地を持っていた。 園は田んぼではない。竹御園、橘園、漆園、柿御園、松茸御園、黄瓜御園、石榴園、地黄御園、柑子園などの名前が史書に見えるように、竹、漆…

左甚五郎の猿

左甚五郎と言えば、日光東照宮陽明門の「眠り猫」で有名である。 有名だけれども、左甚五郎がいつ、どこで生まれ、どんな作品を残した人なのか定かでない。伝説上の人物なのである。 実像を追求する学者もいる。かなり有力な説として、泉州(大阪府南部)貝…